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自分の中に内面化された非人称の視線を理解すること 洗脳を解くこと

浅田彰『構造と力』読書メモの抜粋。

・「脱コード化によって王の首が落ち、権力が顔を失って非人称化されるとき、そこに集中していた過剰な力は社会全域に拡散し、日常生活の隅々にまで浸透する権力へと転化する。この権力はすでに述べた通り個々の主体そのものに内面化される。」
・「言いかえれば、ひとつの『顔を欠く視線』があれば十分なのであって、囚人たちはやがてそれを内面化し、自分で自分を監視するようになるのである。『太陽(ルイ14世)をも鷲(ナポレオン)をも無用にする装置』。脱コード化段階の国家の核心。」
・「これらの装置をメタファーとして理解される近代国家の働きによって、エディプス化された主体、自分自身の債権者であり監視者である主体が絶えず再生産され、自らに負った負債を埋めるべく、自らに監視されながら、一定方向に自動運動を続けることになるのである。」

・ふたつの教室 教師が前に座ってる/教師が後ろに座ってる
・不在の視線は子どもたちのうちに内面化される
・第一の教室が前近代 第二の教室が近代

自分の中に内面化された非人称の視線。規範。道徳。
これについての解像度を上げていくこと。
自分で自分を監視する。自分で自分を責める。

・「ピュシスの代替物として構成される象徴秩序は、ある意味で当然の成行きとして、自らの恣意性・人為性を隠蔽すべく己が生成過程を消去し、万古不易の自然であるかのように装う。あの恐るべきカオスの記憶、「あらゆる共同体の企てに洪水を引き入れかねない大いなる生の宇宙の記憶」は、是が非でも抑圧されねばならない。かくして、部分にすぎない象徴秩序がその外部を隠蔽しつつ全体を僭称するに至るのである。これこそイデオロギーの原基形態ではなかったか?」